東京藝術大学 大学院 音楽音響創造

要旨

深水悠子
日本におけるエリック・サティの受容について

エリック・サティが生きた19世紀末から20世紀初頭にかけてのフランス音楽は、歴史的にみて過渡期にあった。ロマン派の音楽が衰退しつつあり、調性に対する絶対的な考えが揺らいでいた時代の転換期にあたる。フランスの作曲家たちが、新しい音楽の形を求め模索する中、サティは音楽界に目もくれず独自の道を歩み続けた。サティの独自性は、受容においても注目すべき点が多いだろうと考え、論文のテーマとした。

本論文は、日本でサティが紹介されて以降、戦後を経て現在に至るまで、どのように受容され、サティの作品、思想、入となりが浸透してきたのかを明らかにすることを目的とする。さらに、受容の背景であり土壌となった日本の状況を絡めることで、受容の状況を浮き彫りにする。時代を①戦前、②戦後のジョン・ケージの登場、③70年代以降からサティ・ブームまで、の3つに分類し、異なる時代性を背景とした受容の特徴を見ていきたい。

これまでサティの先行研究が蓄積されていることから、それらを土台にして包括的に全体像を捉えながら、受容の真の姿を究明していきたい。ただ、先行研究と事実を列挙していくことが目的ではないため、サティの芸術に対する美学的視点を考察し、受容と結びつけることを試みていきたいと考えている。

1章では戦前の最初期におけるサティの受容について詳しく触れていく。前提となるのが、国策として進められていたドイツ音楽教育である。それに対してフランス音楽の普及がどのように進んでいたのかを明らかにする。さらに、サティの作品が演奏される機会があったのか、サティに関する記述はどのようなものだったのか、サティのレコードは存在していたのかなどについて、資料を基に明らかにする。さらに最初期の特徴である、文学界におけるサティの受容についても詳しく掘り下げていく。

2章では、戦争を境に前衛芸術の波がヨーロッパからアメリカに移ったことを背景に、ジョン・ケージの登場から実験音楽までを、サティとの結びつきを明らかにしながら追っていく。ケージの思想上にサティが存在していたことにより、サティが実験音楽の先駆的な作曲家として人々に再評価されていく。

3章では、戦後日本において、実験工房から西武美術館までの前衛音楽の流れを追いながら、サティの受容の様子を究明していく。当初は、前衛音楽家たちによって演奏され、評価されてきていたサティだったが、西武美術館を経たころから、一般にも広く知られるようになり、一種のサティ・ブームの状況が生まれていった。そのきっかけとなった秋山邦噂による連続演奏会や、背景となった聴衆の変化などを明らかにする。

これらの研究を通じて、サティがなぜ今日まで受容されてきたのか、という結論については、まず、サティの思想の普遍性が挙げられる。その時代ごとにサティの異なる側面がクローズアップされ、再評価されてきたことがその理由である。そして、受容の特徴には、音楽のジャンルを超えて文学界、美術界などで受容されてきたことも挙げられる。それは、サティが音楽のみならず、芸術や物事の本質と向き合い一貫して自身の思想を貫いたことがその理由だったと考えられる。


FUKAMIZU Yuko
Eric Satie’s history of Acceptance in Japan

From 19th century to 20th, from the perspective of music history, the classical French music was deemed the transitional period. Almost all the composers in France was searching the new musical form, on the other hand, Eric Satie followed his own path without caring about them. I thought that the originality of Satie’s ideology will also have so many things should be paid attention to the history of acceptance.

The aim of this thesis is to prove clearly that after Satie was introduced at first in Japan, how Satie’s work, ideology and personality were infiltrated into society. Moreover, I reveal the acceptance in detail by including the circumstances of Japan behind the acceptance. I divide period into three, 1, before the war, 2, after John Cage appeared, 3, from 70’s to Satie’s boom in 80’s, and survey the feature of acceptance in different periods.

By reason of prior researches about Satie being stored so far, I’d like to investigate the real figure of acceptance with surveying whole aspect based on these. On the other hand, I do not aim at listing up the prior researches and the facts, I try to examine Satie’s authentic viewpoint toward art, and link to the acceptance.

Through these researches, I arrive at one conclusion. First I point out the universality of Satie’s ideology. It shall be provided by the fact that Satie was reevaluated, the various aspects that Satie has were focused on in each period. As one of the feature of acceptance, Satie’s ideology has been accepted not only music field but also literature and art fields. It shows that Satie pursued own ideology and tried to find out the essence of not only music but also art and fact.