東京藝術大学 大学院 音楽音響創造

要旨

宮下和也
NHK電子音楽スタジオの制作技法
-音声技術者の役割-

敗戦による混乱が落ち着き始めた1950年代以降、作曲家は欧米における様々な様式を自らの作品に反映させ新しい作品を手がけて行った。世界初の電子音楽スタジオは1951年に設立されたケルン電子音楽スタジオであり、黛敏郎や諸井誠によって日本に紹介され、1954年にNHK電子音楽スタジオは設立された。1966年にシュトックハウゼンが来日し、《テレムジーク》を制作するなど、NHK電子音楽スタジオの功績は大きい。黛や諸井の他には一柳慧・高橋悠治・松平頼暁・湯浅譲二などの多くの作曲家がここで活躍した。

その制作の背後には、プロデューサーの上浪渡や音声技術者の塩谷宏・佐藤茂・小島努などのNHKスタッフの協力があった。NHK電子音楽スタジオでは作曲家と音声技術者が一体となって制作が行われた。このことは後に日本独自の制作スタイルを生む要因となり、作品制作のたびに新たなアイデアが生まれることとなった。

第1章では、研究の目的、対象および方法を述べた。NHK電子音楽スタジオで制作された個々の作品についての情報は残っているが、確認できる資料は断片的なものが多く、NHK電子音楽スタジオ自身も当時活動報告や資料・文献を残すことはなかった。NHK電子音楽スタジオについて詳しく知ることは難しい。NHK電子音楽スタジオにおける活動は作曲家とNHKスタッフである音声技術者との相互のやりとりにおいてなされるものであったが、資料は作曲家に関する記述に偏重した傾向があった。このことから、本論文ではまずNHK電子音楽スタジオに関する資料を整理し、体系的に論じることにより、一層明快にすることを試みた。

第2章では、NHK電子音楽スタジオの概要を述べた。海外によって生まれたミュジック・コンクレートや電子音楽は黛敏郎によって早くも日本に紹介された。放送技術研究所から音響測定機器や研究所の実験機材を集められ、NHK電子音楽スタジオが設立された。スタジオに設置された機材は放送局にあるごく一般的な機材であるが、作品ごとに機材の利用の仕方を変えて制作が行われた。また作品ごとに自作の機械が開発された。同時期の日本での他のスタジオでの電子音楽制作などを整理し、NHK電子音楽スタジオの立ち位置を示した。1980年代からはスタッフの異動などにより制作が下火となったが、その後も1990年後半まで多くの作曲家に作品制作の場を与えた。

第3章では、作品や特定の時期に行われた個々のトピックについて述べることで第2章を補完した。

初期の黛敏郎による作品などを扱った3.1節~3.3節では、発振器のみによる制作から、音楽詩劇やミュージック・コンクレートをも扱ったことについて、どのように転換が行われたかを示した。湯浅譲二による作品を扱った3.4節では、機器そのものよりも、その組み合わせ方やアイデアが重要だということが示された。1966年のシュトックハウゼンの来日について3.5節で扱ったが、音声技術者の役割として、電子機器の基礎的な開発によって技術的に可能なことを増やしたこと、作曲者と相談しながら楽曲に応じた変調回路を制作したこと、機器を「演奏」することが*求められたことが示された。また、シュトックハウゼンが指摘したNHK電子音楽スタジオの欠点を取り扱った。これらの他に、作品ごとに開発された自作機材について3.7節で触れ、ステレオ・多チャンネル作品について3.8節で触れた。

これらのNHK電子音楽スタジオの制作手法は、現代におけるコンピューター音楽の制作においても示唆を与えるものであった。


MIYASHITA Kazuya
NHK Electronic Music Studio: The role of audio engineers

Since the 1950s, Japanese composers began learning contemporary European composition techniques. The world’s first electronic music studio is a WDR Studio for Electronic Music established in 1951. NHK Electronic Music Studio was founded in 1954 and left many achievements. Composers and audio engineers became teams and made their work.

In Chapter 1, I described the purpose, target and method of the research. Since there were few data at that time that could be confirmed, research was difficult. I tried to arrange the data and discuss them systematically.

In chapter 2, I outlined the NHK Electronic Music Studio. Although the equipment installed in the studio is very common in the broadcasting station, production was done by changing the way of using the equipment for each work. Also, handmade machines were developed for each work. I also mentioned other studios in Japan at the same time. From the 1980’s, activities in the studio decreased due to staff changes, etc. After that, even after the latter half of 1990, I gave many composers the opportunity to create works. Productions in the studio decreased since the 1980s due to changes in staff, but after that the studio also gave many composers a place of production for work until late 1990. From the 1980’s, productions in the studio decreased due to staff changes, etc. but until the late 1990’s, many composers were given the opportunity to create works.

In Chapter 3, I described individual works and topics. In Sections 3.1 – 3.3, I mentioned the transition of the initial production method centering on works of Toshiro Mayuzumi. In Sections 3.4, I picked up two works by Joji Yuasa, and mentioned that ideas and combination methods of equipment are more important than the equipment itself. Section 3.5 deals with the arrival of Stockhausen ‘s in 1966 and described the roles of engineers. Also handled the shortcomings of NHK Electronic Music Studio pointed out by Stockhausen. In addition to these, Section 3.7 deals with self-made equipment developed for each work, and Section 3.8 deals with stereo and multi-channel works.

These NHK Electronic Music Studio production methods also gave suggestions in the production of computer music in modern times.