東京藝術大学 音楽環境創造科

シンポジウム「身体をめぐる社会学」
Symposium on Sociology of the Body【終了】

English follows:

こんにち身体は、ますます社会的、政治的、そして文化的な存在になっています。テクノロジー、とりわけメディアの発展、医療技術の変容、そしてファッションやコスメティックス、さらには整形にいたる身体変容技術の発展、性とセクシュアリティをめぐる言説の変化。今日、身体はどのように語ることができるのでしょうか?

本シンポジウムでは、「身体の社会学」を1980年代から提唱し、消費文化、ポストモダン文化と身体の関係を議論してきたイギリスを代表する社会学者マイク・フェザーストーン(ロンドン大学ゴールドスミス社会学部教授)を基調講演に迎え、現代の身体をめぐる諸問題を再検討します。

どなたでも参加いただけますので、興味のある方はぜひお越し下さい。

概要

日 時:2014年11月30日(日)14時~17時
場 所:東京藝術大学千住キャンパス第1講義室
住 所:東京都足立区千住1-25-1
MAP:http://www.geidai.ac.jp/access/senju

基調講演:「『消費社会における身体』再考」
      マイク・フェザーストーン
     (ロンドン大学ゴールドスミス社会学部教授)

報 告1:「身体イメージとプロテシスの美学」
      玉利智子(ロンドン大学ゴールドスミス社会学講師)

報 告2:「社会的成功のため勤勉さと悪徳を求める若者達
~ギャル・ギャル男のユース・サブカルチャーズを事例に~」
      荒井悠介(日本学術振興会/一橋大学)

報 告3: 「身体拡張と仮想身体における装飾の技法」
      柴田英里(アーティスト/文筆家)

司  会:毛利嘉孝(東京藝術大学准教授)

主  催:東京藝術大学音楽学部音楽環境創造科毛利嘉孝研究室
お問合わせ:mouri(a)ms.geidai.ac.jp ((a)を@に変えてください)

※ マイク・フェザーストーンの講演、玉利智子の報告は英語で行われます。また荒井悠介、柴田英里の報告は日本語です。簡単な通訳がつきます。
※ 予約不要です。直接起こしください。

基調講演概要

「『消費社会における身体』再考」
マイク・フェザーストーン(ロンドン大学ゴールドスミス社会学部教授)

私の「消費社会における身体」(1982)は、身体の社会学として知られることになる初期の論考だが、消費文化において身体が中心的な存在であることを議論したものである。それは、若者やフィットネス、美容イメージの増殖、より一般的に「外見がよければ気分がいい」という哲学の浸透を分析した論考だった。消費文化において、積極的に身体に気を配り、体重を落とし、健康を維持することの利点は、それが生活全体の変容の中心として受け取られているということなのだ。
これを発展させた「消費社会における身体、イメージ、そして情動」という別の論考(2010)では、『劇的大変身(イクストリーム・メイクオーバー)』や『10年若返る』といったテレビ番組の中のメディア生活の変容の紹介に見られる合理的な仮説の先、つまり、人々は身体イメージを再構築することに囚われているという仮説を越える議論を行った。むしろここで考察したのは、「イメージのない身体」、動いている身体、つまり日常生活で機能している情動的な身体である。
最近では、人生の晩年身体能力の低下という緊急事態に直面する時に、美や感覚の認識がどのように変化するのかを検証しつつ、再び老化する身体と老化の隠蔽といった問題を再び考えている。
本講演では、身体をめぐる議論、身体の社会学の変遷を探りながら、今日私たちは身体をどのように理解するのかを議論する。

報 告1 概要

「身体イメージとプロテシスの美学」
玉利智子(ロンドン大学ゴールドスミス社会学講師)

2012年のロンドンパラリンピックの成功は、障碍者の新しい公的な可能性を明らかにしただけではなく、一流パラリンピック出場選手と最新の義肢技術との関係の議論を巻き起こした。(リドリー・スコットのSF映画にならって)「ブレードランナー」と呼ばれたパラリンピック選手のスターの一人、オスカー・ピストリウスは、両足にカーボンフファイバーの義肢を用い、特に「パラリンピックのサイボーグ」と見なされるようになった。またやはり両足を義肢にしている元パラリンピック選手のもう一人の著名人エイミー・マリンスは、世界中で知られるファッションモデルとして成功し、人工的な身体を用いた新しい身体の美学を確立することで、美の伝統的な概念を打ち破ろうとする象徴的な存在となっている。義肢技術とデザインの洗練のおかげで、身体は、肉体を直接変容させる「ハード・テクノロジー」とアイデンティティを再構築する「ソフト・テクノロジー」の中心的存在となったのである。本発表では、どのようにして義肢をめぐる言説が、人工的で偽装した身体から、「プロステシス(義肢)の美学」とでも呼ぶべき新しい文化的感受性を生み出す、エンパワーされ展示される身体へと移行したのかを明らかにする。プロステシスの美学は、完璧な人間と機械が統合された身体のイメージから引き出される「魅力/クールさ」と現実の物質性が喚起する「おぞましさ/不気味さ/嫌悪感」という二つの極端な感覚の間を揺れ動く。この仮説を検討するために本報告は二つのアプローチを取る。最初に、心理学、ロボット工学、神経科学の領域における人間身体の認識の生物学を考察し、次にメディア言説における一流パラリンピック選手のサイボーグ化(オスカー・ピストリウス)と義肢身体の美学化(エイミー・マリンス)を分析したい。

報 告2 概要

「社会的成功のため勤勉さと悪徳を求める若者達
~ギャル・ギャル男のユース・サブカルチャーズを事例に~」

本発表ではギャル・ギャル男と呼ばれる若者が組織する集団のメンバーを対象とし、ユース・サブカルチャーズの若者の社会観を明らかにする。またそれを通じ、サブカルチャー資本概念の再検討を行い、現在の資本主義社会と悪徳との関係について論じる。
 本研究対象は、集団のため勤勉に仕事を行う、異性愛を利用する、逮捕されない範囲での反社会的行動をとる、煽情的な方法で注目を集めたり脱社会的な行動をとる、といった勤勉さと悪徳を併せ持った価値観を持ち、それに根ざしたライフスタイルを送る。そして、そのような勤勉さと悪徳とを併せ持ったキャリアを彼らは将来の自己実現に結びつくものとして認識している。
また彼らは、活動から得る勤勉さと悪徳を併せ持ったキャリアと、学歴等オフィシャルなキャリアの両方の面の幅広いキャリアをもつことが将来の社会的成功に役立つと信じている。
 そしてそのような幅広いキャリアをもつことによりアウトサイダーであった立場から一般経済社会の中心において成功を収めたものに成り上がるという、過去と未来との幅の広さをもったドラマチックな物語性、それにともなうカリスマ性をもった自己実現像を持っている。実際に集団を卒業した後の彼らは、ユース・サブカルチャーを通じて得たサブカルチャー資本を活用し、自己実現に結びつける。
 本発表では以上に述べたことを事例に、従来のサブカルチャー資本の概念において扱われてきた資本に加え、外見の魅力と対人的な魅力とを総合したエロティック資本、そして、暴力や詐欺と言った悪さに結びつく資本、これらの側面からも多角的に再検討していく。そしてそのサブカルチャー資本の適用範囲に関しても、従来の枠組みを超えて一般経済社会に対しても適用されるものとして、その概念の適用範囲を拡張して捉え直す。これらを通じ、ある種の〈プロテスタント的〉美徳に加え、悪徳も現在の資本主義社会に分かちがたく結びついているということを論じる。

報 告3 概要

「身体拡張と仮想身体における装飾の技法」
  柴田英里(アーティスト、文筆家)

現代日本の主に若者に流行しているメイクやファッション、そしてそれをSNSなどにアップするための「自撮り」や「プリクラ」といったツールといった、個人が気分良くなるための「変身」にまつわる技術・社会背景・欲望について、アーティスト柴田英里の作品・制作理念などと絡めながら網羅的に解説していく。
「美容整形」「整形メイク」「モテメイク」「コスプレ」などの、身体の延長としての変身を【身体拡張】、「自撮り」「プリクラ」「プリパラ(女性アバターを作り、歌とダンスを踊らせる女児向けアーケードリズムゲームだが、成人男性にも人気。「プリクラ」の機能もある)」といったSNS・ゲームなどを利用した変身を【仮想身体】と分類し、それぞれの技術・社会背景・欲望や、【身体拡張】と【仮想身体】の関連などを読み解いていく。

なお、【身体拡張】と定義した領域の「美容整形」に関しては、日本で唯一美容整形を肯定するファッション誌『姉ageha』(インフォレスト)、「整形メイク」に関しては「ものまねメイク」タレントの「ざわちん」、「モテメイク」に関しては、「ギャルメイク」「原宿系メイク」「モテメイク」の差異と共通点について、「コスプレ」に関しては、コスプレ雑誌『COS MODE』(インフォレスト)の「性転換メイク」「老いメイク」などを参照する。
【仮想身体】と定義した領域では、「自撮り」におけるセルフイメージの演出「詐欺写メ」と、「プリクラ」の「デカ目効果」「足長効果」における「キモかわいい私」の受容のされ方の違いや、「プリパラおじさん」と言われる女児向けアーケードリズムゲームの成人男性ユーザーの抱く欲望を、ジェンダースタディーズをからめながら論じていく。

Today, the body has increasingly become a social, political and cultural entity: How can/should we talk about the body?
The symposium invites the prominent British sociologist, Professor Mike Featherstone, who has discussed sociology of the body, the body in relation to consumer culture and postmodernism since the 1980s, as a keynote speaker to examine the body and its related issues.

All who are interested welcome. Please join us. No need for booking.

OUTLINE

Date: 30th November 2014 (Sunday) 14:00-17:00
Venue: Lecture Room 1, Senju Campus Tokyo University of the Arts
1-25-1, Senju, Adachi-ku Tokyo (5 mins from Kita-Senju station)
MAP: http://www.geidai.ac.jp/access/senju

Keynote Speaker:
“The Body in Consumer Culture Revisited”
Professor Mike Featherstone
Department of Sociology, Goldsmiths, University of London

Speaker 1:
“Body Image and Prosthetic Aesthetics”
Dr. Tomoko Tamari
Department of Sociology, Goldsmiths, University of London

Speaker 2:
“Youth Choosing Bad-Careers for Social Success”
– Youth Subcultures Referenced in Gyaru and Gyaru-o Tribes –
Yusuke Arai
Research Fellow of the Japan Society for the Promotion, Hitotsubashi University

Speaker 3:
“Decorative Technique of the Expanded and Virtual Body”
Eri Shibata
Artist and writer

Chair:
Yoshitaka Mouri
Tokyo University of the Arts

Contact; mouri(a)ms.geidai.ac.jp (please change (a) to @ when you send a message)

KEYNOTE

“The Body in Consumer Culture Revisited”

Professor Mike Featherstone
Department of Sociology, Goldsmiths, University of London

‘The Body in Consumer Culture’ (1982), an early paper in what has become known as the sociology of the body, argued for the centrality of the body within consumer culture. It focused on the proliferation of images of youth, fitness and beauty alongside a more general ‘if you look good you feel good’ philosophy. Within consumer culture the benefits of active body maintenance, slimming and fitness regimes are presented as keys to an overall life transformation. A further paper on the topic ‘Body, Image and Affect in Consumer Culture’ (2010) sought to go beyond the rationalistic assumptions found in some of the media life transformation publicity in television programmes such as ‘Extreme Makeover’ and ‘Look Ten Years Younger,’ which assumes people are preoccupied with reconstructing their body image. Rather, the focus should also be on ‘the body without image,’ the body in motion, the affective body which operates in everyday life. Current research involves a return to questions of the aging body and the mask of aging, to examine changing perceptions of beauty and the senses, as people face the exigencies of diminishing resources in later life.

REPORT1

“Body Image and Prosthetic Aesthetics”

Dr. Tomoko Tamari
Department of Sociology, Goldsmiths, University of London

The great success of the Paralympic London 2012 has not only revealed new public possibilities for the disabled, but also thrust the debates on the relationship between elite paralympians and advanced prosthetic technology into the spotlight. One of the Paralympic stars, Oscar Pistorius, dubbed ‘Blade Runner’ (after Ridley Scott’s science fiction film) who is a double amputee with carbon fiber prosthetic limbs, in particular became conceptualized as ‘the paralympian cyborg’. Also prominent has been Aimee Mullins, double amputee and former palalympian, who become a globally successful fashion model and an iconic figure in challenging traditional cannons of beauty by seeking to establish a new bodily aesthetic with non-organic body parts. The sophistication of prosthetic technology and design has made the body a central entity for transformation via both ‘hard technologies’ which directly modify corporality and ‘soft technologies’ which reshape identities. This paper explores how the modern discourse of prosthesis has shifted from the made-up and camouflaged body to the empowered and exhibited body which creates a new cultural sensitivity – prosthetic aesthetics. Prosthetic aesthetics oscillates between two polarized sensitivities: attractiveness/’coolness’ which derive from the image of a perfect human-machine synthetic body, and abjection/uncanny/disgust which is evoked by the actual materiality of thelived body with a lifeless human-made body part. To examine these assumptions, the paper addresses two approaches: firstly, it explores the biology of human body recognition in the field of psychology, robotics and neuroscience; secondly it analyzes the cyborgification of an elite paralympian (Oscar Pistorius) as well as the aestheticization of the prosthetic body (Aimee Mullins) in media discourses.