「日・韓文化開放による文化変容『ニッポンフィール』の現在」/ 金秀眞

論文

"日本と韓国の文化開放から10年、両国間では文化接触による文化変容が起きた。日本による韓国ブーム「韓流」、韓国による日本ブーム「ニッポンフィール」現象が、既に両国内でなくてはならない文化・生活となっている。このような現象は日本と韓国を超えてアジア全域に広がりつつあり、異文化の接触による、文化変容は現在も起きている。

 韓国における「ニッポンフィール」が、ある側では主体性が失われたかのように熱狂され、もう一方の側では、大衆文化の変化に対して時代遅れにみえる程、批判されている。文化は複雑な生態系であり、特定の基準で規制・育成することは間違った方法である。文化的主体性の問題を、何かの強力な規制で守ろうとすることは非常に反文化的な事であり、韓国社会の日本文化に対する解釈には、より正しい基準意識が必要であろう。

 日本で生活していると周囲の韓国人留学生の間で、“日本人みたい”という言葉をよく耳にする。確かに、筆者自分でもよく使っている言葉でありながら、とても曖昧な表現であり、この言葉の意味を定義することは難しい。“日本人みたい”という言い方は、ファッションや流行トレンドに敏感な人に、褒め言葉として使われる場合もあれば、個人主義で、周囲の視線を気にして他人に合わせる人を指す、冷たくて、悪い意味として使う場合もある。この言葉を聞く側に立つと、どのように受け入れたら良いか分からない時もある。

 今回本論文の、一番大きいキーワードであった、韓国社会の異なる「日本」の解釈は、日本と韓国の関係を語る時に必ず登場する、ありふれたテーマである。しかし、誰もこの「日本」についての異なった意味をはっきりと持っていない。これは、このような現状を自覚している人の間でも、「日本」と「日本大衆文化」に対する正しい価値観が持つことができていないからであろう。

 最近、韓国のフィギュアスケート選手「キム・ヨナ」が、韓国で人気を高めていて、韓国社会の英雄として扱われている。これは、それまでに韓国で非人気スポーツであったフィギュアが、「キム・ヨナ」の世界的な活躍から始まった現象であるが、もし日本の「浅田真央」選手に勝っていなかったなら、「キム・ヨナ」はただのスポーツアイドルとしてしか存在しなかっただろう。日本が好きで、日本大衆文化に憧れている韓国人の間でも、「日本」は負けてはならない国として存在しているのだ。

日本大衆文化受容での価値観とは別に、韓国ではまだ「日本」が、過去の歴史的な事実における「日本」として存在している。韓国での日本大衆文化の正しい文化接触と受容には、解決していない様々な問題が関わっている。このような問題の解決ができれば、世界で東アジアの大衆文化が主流となることも期待できる。理解と和解は、これからの日本と韓国の交流の、とても重要なキーワードとなるだろう。

 2005年の日・韓友情年には、「友情年」という言葉が恥じらわれる程、教科書問題や竹島問題など、両国間の未解決の問題が挙げられた。日本と韓国の大衆文化開放から10年が過ぎた現在も、そのような問題は解決されていない。相互の大衆文化へ正しく接触するには、原因となるものを隠すのではなく、積極的な解決方案を模索することが行われなければならないと考える。

過去の歴史的な問題から解放された、日本と韓国の和解を期待しながら、日本での「韓流ブーム」と韓国での「ニッポンフィール」現象が、一時的なブームではなく、東アジア・アジアを越えて世界を代表する主流文化となることを望む。