《J.S.バッハ 無伴奏パルティータ3番より プレリュードとルーレ—残響を付加したスタジオでの録音についての一考察—》/ 佐藤えり沙

5chサラウンド作品

録音という手段を通して音楽の創り手が表現することをより確実に聴き手に伝えるために、また単なる音の記録ではなく、表現の記録/媒体としての録音をするためには、まず表現が生まれるその瞬間に焦点を当てる必要があるのではないだろうか。この作品では、録音を行う立場として、『その瞬間』にどう携わることができるのかを考えてみた。

 演奏者は、自分が楽器や身体を通して発した音を自身にはね返す空間の存在を感じることで音楽や空間を認知し、演奏の調整に関わる意識を介して身体運動に還元する。このループによって演奏が成り立っていくが、演奏者の空間の認知には響き(残響)が大きく寄与していることが知られている。一般的にスタジオと呼ばれる空間で音楽を収録する場合、コンサートホール等と比べて空間の制約があり、演奏者にとっての音響効果が必ずしも優れているとは言えない。また、視覚的なパフォーマンスを伴って曲中でやり直すことなく1つの曲を演奏するコンサートでは、その場に居合わせた聴衆が演奏を享受する対象となり、練習やリハーサルはその前段階、すなわち演奏者自身を対象とした鍛錬の場である。しかし録音となると、録音したものを何度も繰り返し再生することが可能であり、またそれを聴くのは目の前の聴衆ではなく不特定多数である。さらに、一度演奏したものであっても編集によって修正・変更が可能であるということによって、コンサートとも練習とも全く違った目的をもって演奏に望むことになる。そうして演奏者がある種の特異な精神状態に置かれ得る『録音』という過程の中でも、室内の響き(残響)を演奏時に調整を行い精神的・物理的に制約を緩和し演奏者にとって演奏しやすい空間を整えることで、結果的に演奏者の表現をより的確に聴取者に伝達できる録音につなげられるのではと考えた。

 演奏時に残響を付加した状態で収録を行うこの手法はこれまでにも多く使われてきたが、この作品では録音された音源に手を加えるという以外の方法で、演奏の音楽的な表現の手助けとなることを目的としている。録音は2009年11月18日、東京藝術大学 千住キャンパス内 スタジオAにて行った。

演奏:小林 亜里沙(東京藝術大学 音楽学部 器楽科4年)
東京藝術大学音楽学部附属音楽高校を経て、現在同大学4年在学中。第58回学生音楽コンクール東京大会の部入選。07年ドイツ、ヴァインハイム夏季講習会にて修了コンサートに出演。霧島国際音楽祭にて選抜者によるロビーコンサートに出演。これまでに中藤節子、西川重三、水野佐知香、岡山潔、玉井菜採の各氏に師事。ダニエル・ゲーデ、ロマン・ノーデル各氏のマスタークラスを受講。