限界芸術としてのアートマネジメント—はらっぱ音楽隊の研究を通して— / 芝山祐美

論文

本研究は、筆者がスタッフとして携わった取手アートプロジェクト(以下TAP )における実践の中で出会ったスタッフによる音楽隊、 「はらっぱ音楽隊」について分析することによりみえてきた、「視点を変えた」音楽活動について考察したものである。

はらっぱ音楽隊を題材としたきっかけはこうである。2006年〜2008年にTAPのスタッフを経験した中で、仕掛けあいプロジェクト「あーだ・こーだ・けーだ」(2006)においてスタッフとアーティストの役割が曖昧になったことや、スタッフ自らが「はらっぱ音楽隊」として演奏するという場面に遭遇し、本来は裏方をつとめているスタッフが表に出てしまっていることに違和感を覚え、はらっぱ音楽隊の活動に興味をもった。なぜスタッフが演奏するのか、スタッフは演奏しても良いのか。またなぜ演奏したがるのかを知りたいと考えたためである。

TAPとは、1999年より茨城県取手市で毎年おこなわれているアートプロジェクトである。実施本部は東京藝術大学、取手市、取手市民から成り、市内外からのボランティアスタッフによりプロジェクトが運営されている。展覧会のような形式で一般公開するメインの会期は秋であるが、準備を含め1年を通して活動している。 そうしたTAPの企画するイベントの中で、スタッフのうちの何人かが音楽隊を結成し、アーティストや来場者への感謝の気持ちを表す「おもてなし」としての演奏や、イベントへの参加を呼びかけるちんどんやの活動が行なわれた。そこでの音楽の使い方をみると、企画側内部の人間が演奏することによりイベントの一演出として機能させている面がある一方で、機能だけを追求するのではなく、スタッフとしての表現としてみえてくる面がある。このアートマネジメントとしての音楽隊、スタッフの表現としての音楽隊について両方の視点で考えることで、はらっぱ音楽隊の位置づけを図った。研究方法としては、はらっぱ音楽隊のメンバーを主に対象とした筆者によるインタビューと座談会、記録映像、参考文献をもとに考察を試みた。

本論の構成は以下の通りである。第1章では、はらっぱ音楽隊の活動内容やその性格から特徴をまとめ、アートマネジメントとしての側面に焦点をあてて考えた。そして、そのアートマネジメントによって目指される多様な参加の場における「あいまい」という仕組みについて検討した。第2章では、はらっぱ音楽隊の音楽の使われ方に着目し、第1章で紹介した活動内容を参照し、類似した活動について検討しながら、はらっぱ音楽隊の活動を表現活動ととらえることを試みた。さらに、その表現が「限界芸術」としてもみることができるのかを考えた。

鶴見俊輔により定義された限界芸術とは、芸術と生活の境にあり、純粋芸術、大衆芸術と区別される。はらっぱ音楽隊の活動がアートマネジメントと表現の間にあるという意味を考える際、この限界芸術の概念が参考となった。 結果、第1章、第2章での考察を通して、はらっぱ音楽隊の活動はアートマネジメントととらえられ、一方では表現ともとらえられ、さらに条件つきでは限界芸術という見方ができることがわかった。

それならば、アートマネジメントが限界芸術であるといえる可能性はないのか。
そこで第3章では、限界芸術としてのアートマネジメントと題し、アートマネジメントに限界芸術としての側面をみることができるのかを考察した。 限界芸術の、非専門的芸術家によってつくられ非専門的享受者によって享受されるという点は専門的なアートマネジメントにはみることができないが、TAPのような非専門家によるアートプロジェクトにおいては、限界芸術としてのアートマネジメントが存在し得るという結論となった。このような限界芸術としてのアートマネジメントの当事者はなぜ参加しているのだろうか。TAPにおいては、それぞれに参加の理由があり、人びとが集う背景は一様ではなさそうである。