なにかしら

立川真代/舞台作品

 何か一つ隔てている事、包まれている事が、ふとしたきっかけで自分にとって不審な事になり得るのではないか。それまで何とも思っていなかった物や事が、いくらでも疑えるものに変わる(疑えると気づく)ことがある。見過ごしてしまいそうな物をもう一度疑ってみること、そのまま何も気にせずいることも実は怖いことではないのか。怪しいというその判断は主観と客観で異なりまた人によって千差万別であり、そして勝手に決められていくものだが、自分の判断基準は何なのか。
 中が分からない・包まれている事が、安心や期待、興奮をもたらすこともある。プレゼントや伏せ字で隠されたものを手に入れる快感や暴く悦び、見えていないことに対する興奮や快感を追う性癖をもつ人間もいる。例えば着ぐるみが可能にする人との距離感と中身という存在の持つ可能性は、キャラクターとして接する安心や期待・興奮といったプラスのことと、しかし中身を疑う余地のある状態に不審や不快といったマイナスへの振り幅がある。物だけでなく空間や事象をどう受け取るかという事は個人の主観に委ねられるものなので、気味が悪い・理解できないと感じるか、共感する・肯定的に捉えるかという事は人によって一転して真逆のこととされるかもしれない恐れがあり、自分自身やその行いは、不審者認定されるその基準の存在自体の危うさがある。
 目の前にあることは自分にとって何だったのか、本当にそうだったのか、日常における全てを疑ってかかり、もう一度考え直してみること。自分以外の全ての、とりまくもの達への認識の改めに伴う新規の存在になり得る「別名で保存」していく重複するものの認識と感覚、世界を再構築して塗り替えていく自分発信の作業を、他人と照らし合わせ複層的に世界を捉え直すことで見えてくる、比較があるからこその自分自身に出会う。これが今回の創作に至までに考え、共有し意識を向けた事である。

profile

立川真代:プロジェクト4所属。
1989年生まれ。東京出身。幼少よりダンスのある生活を送り、大学からコンテンポラリーダンスの振付を始める。新体操から始まったが中国武術をしていた時期もあり、身体の使い方は癖があり奔放。また手具や得物を使った事がしたいと密かに考えつつ、舞台に関わる事を続けていく予定。