東京藝術大学 大学院 音楽音響創造

修士論文:関連記事

要旨

安澤 洋
ラ・モンテ・ヤング研究
――ドリームハウスを中心に――

北米の音楽家であるラ・モンテ・ヤングについて、その音楽性の来歴と方法論の分析を行う。分析は、ヤングの集大成的作品である《ドリームハウス》に焦点をおき進める。ヤングがその音楽活動において反復的に用いた「持続音」という手段の背景にある「音の内側に入る」という思想が、《ドリームハウス》においてどのような成果に達したのかを分析し、またその思想が本質的に意味するものを通して、ヤングという音楽家の独自性を考察する。

第1章では、ヤングの作曲家としての特徴を分析する。その中で、ヤングの作品における重要な「音の内側に入る」という思想と、作品が包含する多様な表現手段に着目し、以下の結論を得た。ヤングは、

1.幼少期の原体験を音楽表現として昇華させるために、
2.その手段としてカテゴリーに囚われない音楽的方法論を模索し続け、
3.「場」のレベルから作品の創造を行う音楽家である。

第2章では、本研究の主眼である《ドリームハウス》について、その概要を把握する。聴覚表現の要素、視覚表現の要素の概要と、この作品に特に大きな影響を及ぼしている過去作品の分析を行う。過去作品の分析を通し、

1.サイン波による表現が生演奏に対する単なる代替手段ではないこと、
2.《ドリームハウス》における「聴者の運動を作品に取り込む」という発想の背景を確認する。

第3章ではそれまでの分析をもとに、《ドリームハウス》における方法論の分析を行い、それが彼自身の活動の中でどのような位置をしめるものなのかを論じる。「音の内側に入る」という思想がそもそも知識として普遍性を持つ事を志向していたこと、また、第1章で言及したヤングの方法論における「多要素性」の側面が上述の普遍性への志向に対して負の作用を持っていたことを踏まえ《ドリームハウス》における方法論の分析を行った。その結果、以下の結論を得た。

結論:《ドリームハウス》は、「音の内側に入る」というコンセプトに対し、論理的に最適化された方法論を有している。


YASUZAWA YO
A Study of La Monte Young: Focusing on the Analysis of “Dream House”

A study of La Monte Young, musician in North America, through researching his musical history and methodologies. Research is advanced by focusing on his latest work “Dream House”. In research, analyze what result came out from “DreamHouse” by the consept of “get inside of a sound” behind the way “drone” that used repeatedly by Young, and think the uniqueness of him through understanding the essential means of the above concept.

In Chapter 1, analyze the characteristics of Young as composer. In this chapter, the following conclusions were obtained by focused on the various elements of expression that been included in the work that has the concept “get inside of a sound”: Young is the artist creates the pieces from the level of formats and continued to exploring the expression ways that not related to the category in the will of trying developing original experiences of early childhood as the representation of music.

In Chapter 2, understanding the outline of “Dream House” the work mainly focused in this paper. analyze the auditory representation, visual representation and the past work that had been influencing to “Dream House”. through analyzing the past work, understand that expressions of sine wave are not simply alternative of acoustic instruments, and recognize the background of “making the sound composition from listener’s movement” as the important idea in “Dream House”.

In the last chapter, analyze the methodologies of “DreamHouse” by basing on previous studies, and discuss the “Dream House’s position in his musical activities. To analyse the methodologies based on these points: the concept of “get inside a sound” has been oriented initially to be universal knowledge, and the aspect of “elements diversity” in Young’s methodology, has referred in Chapter 1, has some negative effects on the above universality. concluded as follows: “Dream House”s methodologies has logically optimized along the consept of “get inside a sound”.

要旨

横山 夏子
ノルマン・ロジェ論
—アニメーション・サウンドトラックの作曲技法—

近年日本では、ジャパニメーションと呼ばれ世界から注目されている商業アニメーションの他、市場にはのらない短編アニメーションが注目されはじめている。こうした作品群は映像作家による個人制作で生み出されることがほとんどであるために、前者のアニメーションと比べてその表現方法/表現技法、ストーリー展開など千差万別で、必然的にそこに伴うサウンドトラックも多様なヴァリエーションが求められる。本論文では、現在まで200作近くのアニメーション・サウンドトラックを手掛けてきたカナダの作曲家ノルマン・ロジェの制作姿勢や音楽的/映画的見地について、本人への独自のインタビューや作品分析を通して考察することで、彼の作家像にせまるとともに“アニメーション・サウンドトラックの作曲技法”とはなにかを探ることを目的としている。

具体的な方法としては、第1章でロジェと縁の深いカナダ国立映画制作庁(NFB)について、第2章ではロジェの生い立ちやキャリア開始から現在までの作曲家としての遍歴についてそれぞれ記述し、また第3章では実際にロジェが制作した5つのサウンドトラック『Retouches』(2008)、『岸辺のふたり』(2000)、『生存競争』(1980)、『ハッピーエンドの不幸なお話』(2005)、『変身』(1977)を分析した。それまでの行程を踏まえて辿り着いた第4章では、ノルマン・ロジェのサウンドトラックに一貫して示される最も特徴的な事柄-「作品の視覚イメージに忠実に寄り添い、そこに秘められた本質やメッセージを補強することでより大衆に開かれたものへと作品全体を昇華させる、ガイド的役割」を明らかにした。また十分に系統立てて論じるまでには及ばなかったが、ロジェによるサウンドトラック作曲技法をとおして、アニメーションに特化して効果的に機能する音楽形態を探ることができた。最終章である第5章では、多民族国家であるカナダの国民性と80年代のNFBの制作方針に触れ、ロジェの作家性がその国民性と時代性に基づいた非常に特殊な状況下で形成されたことを指摘した。それによっ
て、ノルマン・ロジェが短編アニメーション界における唯一無二の音楽家として今もなお第一線で活躍していることを示した。


YOKOYAMA Natsuko
NORMAND ROGER:The composition technique of animation’s soundtrack

In recent years , the short animation films from Japan has been placed in the spotlight, proposing an alternative to the Japanese animation industry, world-wide known as Japanimation.

Due to the fact that these short films are created by individual artist, they present a wider variety of ways of expression and representation compared with the former commercial animation, producing favorable conditions for the development of differents forms of soundtracks.

In this thesis, I study the role and function of the sound in short animation films soundtracks created by the Canadian composer Normand Roger, who has written about 200 animation’s soundtracks, through the analysis of his composition technique and also based on a personal interview with the composer.

Chapter 1: Explains the strong connection between Roger and the National Film Board of Canada
(NFB).

Chapter II: Describes Roger’s personal history, from his early life and the beginning of his career as composer to the present.

Chapter III: Develops the analyses of five soundtracks composed by Roger: ‘Retouches’ (2008), “Father and Daughter’ (2000), ‘Elbowing'(1980), “Tragic Story with Happy ending’ (2005) and “The Metamorphosis of Mr. Samsa'(1977).

Chapter IV: On the basis of what has been expounded from chapter one to three, this chapter explains the most remarkable features in Roger’s soundtracks. The present study shows that his soundtracks perform a sort of interpreter function in order to disclose the essence of the film to the public, being faithful to the film’s visual image and strengthening its inner message. Also this chapter develops a research, in a non-exhaustive way, about Roger’s composition techniques, particularly the study is focused on the function of the musical form.

Chapter V: Denotes that Normand Roger has become a very unique and original composer in the circles of the short animation films, thanks to his creator’s personality which has developed under very particular circumstances, such as the multicultural Canadian environment that surround him and his experience during the 80’s mainly working for the NFB.

要旨

ロバート・マーク・シェリガ
戦後の現代音楽における集団即興演奏の方法論

本論の主な目的は、20世紀の現代音楽における集団即興演奏の方法論の役割を検討することである。この研究は1950年~1970年という既存概念に向き合った新政治意識を持ち、発達したテクノロジーと科学によって新たな表現形式が生み出された時期に焦点を当てる。

当時の豊かな社会・政治的な環境の中において、偶然性、不確定性、エレクトロニクスなどはシュトックハウゼンとケージたちによって用いられていた。また、60年代から新たなジャズのオーネット・コールマンとジョン・コルトレーンたちの「フリージャズ」のような集団即興表現が流行っており、そこから、2つの音楽的な運動を融合したミュージシャンとグループが増えるようになった。本論の第一章(「背景として現代音楽」)では、この不確定性の音楽、ライヴエレクトロニクス、またフリーインプロヴィゼーションという3つの音楽形式を紹介する。

第二章(「集団即興演奏の代表的集団」)では、日本・アメリカ・ヨーロッパという3つのカテゴリーに分類し、重要な活躍していた集団即興演奏を中心とするグループの歴史、活動、方法、思想を説明する。

第三章(「分析」)では、集団即興演奏と現代音楽の関係性を分析する。特に、シュトックハウゼンの60年代「直感的音楽」のような合奏団、当時のアナログテクノロジー(テープ・増幅・マイクロフォン)の発達したもの、また抽象表現主義の影響を考察していく。

最後(「結論」)、今までの研修・分析したものをまとめ、現代音楽における集団即興音楽を形作った重要な原因を述べる。

要旨

松岡 美弥子
ショスタコーヴィチの映画音楽 一《ハムレット》を事例として一

20世紀のソヴィエトを代表する作曲家ショスタコーヴィチは、映画音楽の作曲家としても大きな業績を残している。だが、ショスタコーヴィチの映画音楽が研究対象として着目されることは少なく、特に日本ではほとんど研究が進んでいない。

本論文は、彼の映画音楽に対する考え方やその姿勢を明らかにすべく、ショスタコーヴィチの映画音楽作曲家という側面についてまとめた。ショスタコーヴィチは映画音楽について、音楽が積極的に演出に関わるべきだと考えていた。そこで、彼の音楽が、実際にどのような作曲法によって演出に関わっていたのかを解明すべく、彼による映画音楽の代表的作品《ハムレット》の分析を行った。

その結果、彼の映画音楽は、映像の動きや登場人物の心情変化に密接に合わせられたライトモチーフの繊細な操作と変奏、そして巧みなオーケストレーションによる音色の変化によって、登場人物の内的な部分を表現しており、この繊細な音楽の作り込み方によって 映像と音楽が一体となった総合芸術的表現を可能にいることが明らかになった。


MATSUOKA Miyako
The Film Music of Schostakovich: An Analysis through “Hamlet”

Schostakovich is recognised as one of the greal composers of the 20th century. He is also known as a composer of film music. However, Schostakovich’s film music has received little altention from scholars. In Japan there has been very little extensive research carried out on his film music.

This thesis examines Schostakovich’s thinking on film music. Schostakovich believed that silm music should be positively related lo the production of the movie. How was the music compose? Ilow did it relale lo the production process? To answer these questions, I have analyzed the music of the silm “Hamlet”.

Through my research I have examined how Schostakovich synchronized his film music with the movement of the images and the character’s changing feelings. The leilmotif is transformed to express the various emotions of different characters. This is achieved by altering the colour of the sounds through various orchestrations.

Schostakovich composed his film music with a careful calculation to effectively unite the music with the moving images. This thus contribuled to an overal successful artistic production.

要旨

山田 啓太
情動の想起を意図した楽器演奏音と情動の伝達に関しての検討

本論文は、情動の想起を意図した楽器演奏音によって、演奏者の意図がいかに聴取者に伝達するかを聴取実験から考察し、実際の音楽の演奏における情動の伝達に関しての助力となる要素を明らかにしようとするものである。演奏者は、演奏をする際に聴取者に何かを伝える事を命題としている。そのために演奏者は、演奏表現の一部として「感情」を取り扱う事がしばしば見受けられ、また多様な演奏表現のスキルが求められる。しかし、意図した「感情」が聴取者に的確に伝わるものなのか、またどの程度伝わるものなのかということは、演奏者自身が正確に感知できるものではなく、意図した通りに伝えるのは非常に困難である。しかしながら、演奏者が情動の想起を意図して演奏した場合に、何かしらの「感情」が聴取者に伝わる事もまた事実であるため、それを少しでも解明できるような実験を試みた。

本論文は、序文と結びのある4章構成となっており、序文では、研究の目的や研究の方法、先行研究の紹介、論文の構成について述べた。そして第1章では、心理学と音響心理学における「感情」と「情動」という言葉の扱われ方やその差異を示したのち、本研究を形作る上で土台とする、音や演奏者のモデルや、音と聴取者のモデルの概念を明瞭にし、その外延を確定づけるに至っている。そしてそれを基に第2章では、「情動の想起を意図した楽器演奏音」を録音し、聴取者への聴取実験(実験I)を行なった。その結果、被験者が音楽演奏を主専攻としない場合、情動のポジティブネガティブという次元が演奏者の設定した情動とは反対になるということ、また、被験者が音楽演奏を主専攻とするかしないかに関わらず、情動のポジティブーネガティブの次元に比べ、情動の強度の次元に明確な有為差が確認できるという事がわかった。

続く第3章では、第2章の実験Iにおける、設定した情動に実際の音楽表現や演奏表現との相関性が少なかったという可能性や、音刺激が音階演奏であり音楽的でなかった等の問題点を踏まえ、それらを改善するため、ある特定の楽曲を用いて別の新たな実験(実験III)を行なった。さらにここでは、被験者が音楽演奏を主専攻とするかしないかで起こった実験結果の差異が、音楽演奏を主専攻とする被験者の場合、音刺激を演奏した演奏者と楽器演奏を行なうもの同士に共通するある種のコンセンサスが生じていた可能性があるという意見が被験者から多数挙げられたため、音楽演奏を主専攻としない被験者のみを対象とする事にした。そして実験IIIでは、実験Iにおいて情動の強度の評価により明確な結果が確認できたため、「ある1つの情動の強度(表現量)を変化させた場合にも、聴取者がそれを明確に受け取る事が可能であるか」というところに焦点をあて、その結果、演奏者の意図した情動の表現量と被験者の評価した値に順序的な対応を確認することが出来た。

第4章では、実験を受けた際の演奏者と聴取者の所感を基に、考察や推察を行なった。ここでは大別して、「演奏の順序」と「過度の演奏表現」、「演奏ミスと好み」という3つの考察すべき点が浮かび上がった。これらは全て、明確な結果を求めようとした本研究の実験に対しては問題点となり得るものであるが、これは音楽の持つ性格から来る問題点であると同時に音楽の面白さや良さを示すものでもあった。

そして終わりに、第4章の推察を通じて見えた実験の問題点や、実験の結果少なからず情動の伝達が証明の範疇にあった事から、今後の研究の手掛かりを述べ結びとし、本論文を閉じている。


YAMADA Keita
Performance that intended to induce emotions and it communication to the listeners

This study examined the communication between the players’ performance that intended to induce emotions and the listeners receiving them. Players generally aim to transmit emotion to listeners; nevertheless playing techniques that achieve this is very difficult. However, it is often noted that if the performer plays intending to induce emotion, some emotional feelings can be communicated to the listeners. This study did two types of listening tests to clarify this communication.

In Chapter 1 the difference of the definition in psychology and psychoacoustic terms of the words “feeling” and “emotion” was clarified, and the model of the communication between the player and the listener was introduced. In Chapter 2, two listening panels (classified by being musical players, or not) examined how the sound played by a musician intended to induce emotion to subject (Test 1). The result showed, in the “negative-positive” scale of emotion, that the non-player-subjects panel score was opposite from player subject panel. Contrast to that, in the “strength” scale of emotion, the subjects were correct from the player’s intent. However the stimulus was not a musical material. Due to this fact, some elicitation problems seemed to have occurred.

In Chapter 3, the results and the cause of the problems from the first test were investigated. Then a second test (Test 2) was conducted, using only non-player subjects. The result showed correlation between the value of subjects’ responses from the induced emotions and the value of emotional expressions strength caused by players’ intention.

The last chapter (Chapter 4) the two test results were discussed, and led to some relation to findings from emotional studies. Especially, musical characteristic effects were caused bias to every discussions. The musical pieces used as stimuli obviously had musical intentions by the composers that caused bias. On the other side, this problem proved that this test had musical characteristic. Therefore, these two tests results suggest remarks concerning the studies of musical emotions tested by musical stimulus.

要旨

リトル 太郎 ピーター
図形楽譜とアートとの相関性の変遷

モートン・フェルドマンによって編み出された図形楽譜は、ニューヨーク・スクール(ニューヨーク楽派)と、同時代・同じニューヨークで活動していたと抽象表現主義絵画運動の芸術家らやその思想、具体的にはジャクスン・ポロックなどのアクション・ペインティンターらが志向した「オールオーヴァー」という考え方や、具体的なイメージよりも「フォーム(質料)」を重要視する価値観との相互作用において成立した。図形楽譜はジョン・ケージや、アール・ブラウンらニューヨーク・スクールの他の作曲家によっても用いられ、その後従来の記譜法の代用としてではなく、ヨーロッパでは偶然性・不確定性とともに受容され、そして他方ではフルクサスのイベントや、ハプニング・パフォーマンスなどの音楽以外の用途でも使われ広まっていくことになる。

また、図形楽譜の拡散や美術運動との関係については、ケージがブラック・マウンテン・カレッジや、ニュー・スクール・フォー・ソーシャル・リサーチで行った講義やイベントなどが深く関わっている。例えば、ブラック・マウンテン・カレッジでは、その後のインターメディア・アートの先駆けとしても美術史に名を残す《シアター・ピース第一番》(1952)がケージを中心にして上演され、ニュー・スクールでのアラン・カプロー、ジャクソン・マックロウやディック・ヒギンズら、後にフルクサスやハプニング・パフォーマンスなどの運動の中心で活躍することになる面々が集った授業において、ケージが彼らの考え方に大きな影響を与えた。フルクサスやハプニング・パフォーマンスなどでも図形楽譜が用いられたのは、先程も述べたとおりだ。

そして、同じニューヨーク・スクールのメンバーであったデイヴィッド・テュードアや、ブラウン、ケージ自身らの渡欧とダルムシュタットでの演奏、レクチャーなどは図形楽譜と偶然性、不確定性の音楽という考え方をヨーロッパに広めることになった。ちょうどケージがニュー・スクールで授業を受け持っていたのと同時期のことである。

そうやって当時のアート・美術運動と相関しながら成立し、瞬く間に広まっていった図形楽譜の歴史を追いながら、例えばメディア・アートなどの美術の動向との関連性や、図形楽譜の発展性などを、適宜作曲家らへの質疑応答をしながら探っていくのがこの論文の要旨である。

尚、本論文を書くにあたり、ケージが1969年に現代の音楽の楽譜についてまとめ編纂した『ノーテーションズ』、そして2009年にテレサ・サウアーが同様のコンセプトのもとで図形楽譜を中心に編纂した「ノーテーションズ21』を楽譜の主たる参考資料とし、楽譜の分類などはエルハルト・カルコシュカがその著作『現代音楽の記譜』で用いたのと同様の方法で行った。


Taro Peter LITTLE
The Changes of The Relativity Between Graphic Notation and Art.

It is well-known that the invention of the graphic scores by Morton Feldman and the New York School composers was influenced by the coeval art movement, Abstract Expressionism. That influence is apparent not only on their visuals but manifestly in their mode of thought; “All-over” and “Formalism” for example.

Due to the ease of notation of variables which were difficult to express in ordinary scores, the use of graphic scores spread quickly following the invention. Widespread graphic notation was used to notate the music of indeterminacy, improvisations and to write the scores for Fluxus events and Happening/Performance art.

With reference to the Fluxus movement, Happenings/Performance and Intermedia art, another New York School composer, John Cage, played a tremendous role in their realization through his teaching at Black Mountain College (especially with“Theater Piece No.1″, a notable first experience of an Inter-media event held in the summer of 1952) and The New School for Social Research.

Cage’s thoughts and the idea of musical notation using graphics flowed to the cited art movements through his talented students: Robert Rauschenberg, Allan Kaprow, Dick Higgins, et al. and also to Europe as a method of writing the music of indeterminacy at around the same time.

Currently graphic notations are used even more widely than they were: to express, to collaborate and to interact.

As described previously, this thesis represents the interaction between the movement of art and graphic notation as well as what is and what will be happening.

Graphic scores in this thesis mainly refer to John Cage’s “Notations”: a collection of contemporary works and musical manuscripts published in 1969, and to another collection of current graphic scores greatly-influenced by Cage’s earlier literature: “Notations 21”, edited by Theresa Sauer.

要旨

クルシエスキルイス・フィルナンド
映像の画角と直接音/残響音比率の違いが“距離感”と“ふさわしさ”に与える影響ついて

音響の分野において、空間の知覚に関する研究は多くなされている。視覚は空間を知覚するために重要な情報を持っているが、視覚と聴覚の対応に関する研究は少ない。

本論文では空間の知覚に置ける視覚と聴覚の関係について調査を行なった。実験では、クロマキーを用いて、同じサクソフォン奏者の演奏から3種類の異なる映像(動画)を作成した。また音源からの距離が異なるインパルス応答を録音し、響きの少ない部屋で録音したサクソフォンの演奏を畳み込んだ。

これらの刺激を用いて2つの実験を行なった。最初の実験では被験者は映像を見ながらそれにふさわしい直接音/残響音比率で(D/R)を調節した。2つ目の実験では、3種類のフレームの映像と、音源からの距離の異なる3種類の残響音を組み合わせて一対比較をおこなった。被験者は2つの刺激を比較して「どちらが演奏者との距離感がより遠いか」、また「どちらが映像に対してふさわしいと思うか」を5段階で評価した。

D/R評価実験の結果から全体的な残響音のレベルは被験者の好みによって調節されたが、映像の違いによる残響音のレベルは被験者ごとに同じような傾向がみられ、共通した影響があることが分かった。

また一対比較では、距離感の印象は映像内の演奏者の大きさによって決まることが分かった。またそれぞれの画角において残響音の違いも距離感に影響を及ぼす。また映像内の演奏者の大きさは同じでも、背景の見え方が違うことで被験者により距離感に違いが見られたため、被験者を2つのグループに分けた。その結果、ぞれぞれのグループで近いと感じるフレームに置いて、残響感が遠くなっても、比較的近いと感じることがわかった。これは画角による映像の距離感の印象が残響音の印象に影響を与えたと考えられる。

映像に対する残響音のふさわしさに関しては、映像内の演奏者の大きさが小さい場合は、遠い残響音がふさわしいと感じる。また演奏者が大きい場合は近い残響音がふさわしいと感じる。距離感で見られたような、映像内の演奏者が同じ大きさで背景が異なる場合には、ふさわしさの違いがみられなかった。


Luiz Fernando Kruszielski
The Influence of Camera Angle in the Direct to Reverb Ratio Suitability and Its Effect in the Perception of Distance for a Motion Picture

In the field of study concerning sound, there are several studies about sound-spatial impression of an enclosed space. While vision is a sense that has a strong and dominant influence in the perception of space, there are few studies concerning the relation between both senses.

In this paper, a research concerning auditory and visual perception was conduced. Using chroma key technique, three videos from the same saxophonist performance were created. Stereo impulse responses taken at different distances from the source were used to convolute the sound of the player, which was recorded in a room with small reverberation. Two tests were conducted. In the first test (D/R; direct-to-reverberant test), participants where asked to select the suitable amount of reverb for the presented image. In the second test, the subjects were presented a combination of sounds recorded at different distances and various image-frames as a paired-comparison and were asked to judge the egocentric sense of distance to the player, and also which sound was more suitable for the image.

The results from the D/R test showed that even if the amount of reverberated sound was related to individual preference, there was a pattern on the subjects caused by the influence of the images.

In the paired comparison test, it was observed that the sense of distance was influenced by the size of the player in the image. Also, the differences in the reverberation of the sound had influence in the perception of distance. For the frames that the player had the same size in the screen, the subjects could be split into two groups with different sense of distance for the frames. In both group, for the image perceived to be closer the influence of perception of the distant caused by sound was comparatively smaller. It is suggested that this perception is caused by the influence of the angle of view in the perception of the image.

For the paired comparison concerning suitability of the sound recorded distances for the image, it was observed that as the player presented in the image is small, the sound recorded further away seems to be more suitable. Also, as the player presented in the image bigger, the sound recorded close seems to be more suitable. The differences between subjects observed in the sense of distance were not observed in this task.

要旨

東 英絵
ダンスと音楽
一音楽構造から振付けへ、ローザスを例として一

本論では、現代において「芸術」という括りにまとめられている、見せるための「ダンス」における音楽とダンスの関係性に着目し、ダンスにとっての音楽の役割を論じる。そのために、歴史的な流れを追い、そして現代の着目すべきベルギーのダンスカ ンパニー「ローザス」の音楽について検証する。

第1章では、ダンスと音楽の関わり方を歴史的な流れを確認する。宮廷音楽において舞曲が多く作られ、ダンスと音楽の関わりが非常に深い時代から、観客を伴う見せるためのダンスに移行する。時代が進むにつれ、いわゆるクラシックバレエ、モダン ダンス、コンテンポラリーダンスと、ダンスのジャンルが変化し、音楽の使用され方 が変貌を遂げた。20 世紀後半になるとメディアやテクノロジーの発展に伴い、さらに 使用する音楽の幅が広がっている。多様な音楽の選択肢がある中で、音楽とダンスの関係が、希薄になってしまったと言えるかもしれない。

第2章では、1章で述べた歴史の流れの中で、特にダンスと音楽についての独自な論理を持っている、ベルギーの「ローザス」について論じる。80年代以降「音楽的な」ダンスカンパニーと評されているローザス自体について、その創設者であり、振付家であり、ダンサーであるケースマイケルについて、そして、ローザスにおける音楽の特徴を挙げる。

第3章では、ローザスの実際の作品と、使用されている音楽についての分析をした。その楽曲を分析して、それをいかに使うか、という点でケースマイケルが振付けに広がりを持たせる方法が見て取れる。本論では、それらを「構造分析的」とし、その中
でも構造分析してからの振付けへの転化の方法がいくつかあることを提示した。また、楽曲だけでなく、歴史的な音楽の分析を行うなど、様々な論理を持っていることも明らかになった。ローザスにおいて、今後も新たな方法論によって音楽とダンスの関係がますます深くなる可能性を探ることができるであろう。


AZUMA Hanae
Dance and Music Creating Choreography based on structural analysis of music, with examples from ‘Rosas’

This thesis focuses on the relationship between music and dance, as art forms oftoday and discusses the ways music is associated with dance. As a method of investigation, a comprehensive research is carried out concerning the historical background of the relationship of music and dance, with an emphasis on ‘Rosas’, one of the most renowned dance companies in present day.

In the first chapter, a comprehensive survey on the history of dance is carried out. Many “dance music” were created as European court music since around the 13th century. At that time, there was no clear distinction between dance and music. Theatrical dance had just started wowing the audience. With time, a variety of genres of dance, such as classical ballet, modern dance and contemporary dance, have been formed, each having a different way of approaching music in their creative process. By the end of the 20th century, as numerous musical alternatives have become available with technological advancement, the relationship between music and dance has become less intimate in comparison to what it has been in the past.

In the second chapter, ‘Rosas’, is examined in detail, especially concerning its reputation as making music a crucial part of creative process. In particular, there will be a discussion of the role and the influence of Anne Teresa de Keersmaeker, the founder, the choreographer and one of dancers of ‘Rosas’. The third and final chapter will include several analyses of some of Rosas’ works. As Anne Teresa de Keersmaeker is known to often analyze music before she choreographs, studying the way she uses music in her dance is expected to bring to light the relational nature of music and dance, and suggest some ways the two art forms will continue to interact in the future.

要旨

上野 紘史
湯浅譲二作品研究、 —声を素材とした作品を中心に

本論文は、作曲家湯浅譲二(1929~)の声を素材とした作品にどのような独創性 や先駆性があったかを考察し、明らかにすることを目的とする。湯浅の一連の声を素 材とした作品を、主に実験工房時代の初期テープ作品、独自の手法を開花させた《ヴ オイセス・カミング》(1969)、そしてそれ以降の声楽作品やコンピュータ音楽作品に 大きく分け、同時代の作曲家の声を素材とした作品と比較し、同時に湯浅の作曲上の意図や思想を考察する。

私は学部から大学院までずっと声を素材とした電子音響作品の制作をしてきた。そ うした中で湯浅の声を素材とした作品に出会い、大きな影響を受けた。その背景や思 想を考察することによって、今後の自作の作品制作の手がかりになるのではないかと 思い、本研究を行うことを決めた。

湯浅は実験工房時代、身近な作曲家である武満徹などと互いに影響を受けながら作 品制作をした。しかし《ヴォイセス・カミング≫において実際のコミュニケーション で発せられた声を素材としたことで、日本や海外のどの作曲家とも異なる独創的な手 法を確立させた。それは湯浅の60 年代での到達点であったと同時に、新たな出発点 ともなり、《ヴォイセス・カミング≫で得た問題意識を以降の声楽作品やコンピュー タ音楽作品で発展させていくことになった。

第1章では私の研究動機を記述するとともにミュージック・コンクレートと電子音 楽の誕生を概観する。第2章では湯浅が制作した初期テープ作品と、同じ実験工房に 属し湯浅にとって身近な作曲家であった武満徹のテープ作品とを比較し、同時代の同 じ環境にいた両者にどのような共通点や相違点があったのかを検証する。第3章では 湯浅の《ヴォイセス・カミング》がいかに他の作曲家とは異なる意図に基づいている かを考察し、その独創性を明らかにする。第4章では湯浅が《ヴォイセス・カミング ≫で得た問題意識をどのように 70 年代以降の別の作品で深め、発展させていったの かを考察する。第5章では結論として、そうした一連の作品の検証を踏まえ、湯浅の 音楽観、作曲観をまとめて提示する。


UENO Hiroshi
Works by Joji Yuasa:With light on the works made with voices.

This thesis aims to clarify how original and pioneering the works made from voices composed by Joji Yuasa (1929–) were. The works made from voices by Yuasa is mainly divided into four phases: initial tape works made at the Jikken Kobo age, an great original Vocies Coming, the vocal works, and computer music works. These works are compared with the works made from the voice of a coetaneous composers. His ideas of the compositions were considered.

I have composed electronic music works that employed voices for a long time from an undergraduate to the graduate school. In the meantime I have met his music works made from voices. I was very inspired from it. I decided to study his works to press for improvement in quality in my works.

At Jikken Kobo (Experiment Workshop) age, Yuasa composed a few works influenced by Toru Takemitsu who was acquainting to him. However, he composed Voices Coming made from the voice vocalized at actual communications so that he established original way different from other composers. It was not only the highest achievement at the 60’s but also the starting point for him. After then, the awareness of the issues born from Voices Coming was developed with the following vocal works and the computer music works.

Chapter 1 describes the research motive, and a general view of the birth of the musique concrete and the synthetic music. In chapter 2, the initial tape works Yuasa composed are compared with the tape works of Toru Takemitsu , who was also with Jikken Kobo and was a familiar composer to Yuasa. How two composers both existed in the same coetaneous environment had in common and the difference were discussed. Chapter 3 considers how different Voices Coming is from other composers’ works. Chapter 4 considers how the awareness of the issues obtained by Voices Coming was deepened at other works after 70’s. Based on the verification of the series of works, in the Chapter 5, I got Yuasa’s idea on the composition in order.

要旨

江口 加奈
ミュージカル・クラウン、グロックの音楽

本論文の研究対象は「20世紀で最も偉大なミュージカル・クラウン」と称されたグロックのアン トレ(音楽、曲芸、演劇による総合的な演目)における音楽である。そして、彼のアント レにおける音楽・音・身振りの特徴とその効果を明らかにし、さらに他ジャンルへの影響 を明らかにすることを目的としている。グロックはなぜそこまで観客を笑わせ、虜にでき たのか。芸術音楽に対する風刺が誰にでも受け入れてもらえる形でうまく表現されている からだという仮定のもと、具体的に検証した。

先行研究は学術的なものが非常に少ない。そもそも、サーカスやクラウンは、地位も低 く、放浪芸の類に属されていた背景もあり、研究対象とみなされて来なかった。その中で も、エヴゲニィ・クズネツォフのサーカス研究やトリスタン・レミィのクラウン研究等があ るが、ほとんどが歴史研究である。ミュージカル・クラウンに着目し、音楽学的な研究をおこなったも のは、吉村理恵の博士学位論文「サーカス・クラウンの音楽-20 世紀前半の音楽道化とその 周辺一」のみである。そこでは、グロックとフラッテリーニを例に、アントレと独自の音 具に着目し、作品分析が試みられている。この研究を踏まえ、アントレの特徴を再整理し、 理解を深めたい考えである。さらに、グロックと同時代を生きた、ルチアーノ・ベリオやチ ャールズ・チャップリンといった作品とも比較分析することで、他ジャンルへの影響にも着目した。こ の点が独自の視点である。

論文は 4 章構成である。第1章でサーカスとクラウンの歴史を概観し、その中でミュー ジカル・クラウンがいかにして誕生し、発展したのかを明確にする。第2章では、グロッ クのアントレにおける音楽的特徴やそれを取り巻くパフォーマンスの特徴を洗い出し、そ の表現を整理する。第3章では、映像資料にある1つのアントレを分析し、音楽・音・身 振りの特徴とその効果にまで踏み込み、それがどのように観客の笑いを誘ったのかを検証 する。ここでは執筆者自身でおこした楽譜を元に、分析も試みている。そして、第 4 章で は、ベリオの《セクエンツァV》、《セクエンツァル》、チャップリンの《ライムライト》の 3作品とグロックのアントレを比較することで、芸術音楽や映画といった他ジャンルの作品 に与えた影響を明らかにし、結びへとつなげる。

音楽史を語る際、とかく芸術音楽の歴史に重きが置かれ、大衆的な音楽が抜け落ちがち である。そこで本研究が、今まであまり光を当ててこられなかった大衆文化や大衆音楽の 研究を促進させるとともに、芸術音楽との結びつきを捉える上で、手がかりとなるのでは ないかと考えている。クラウンは音楽や美術、文学といった様々な分野にも題材として取 り上げられている。したがって、その影響力は目を見張るものがあり、表現を整理し、分析することは意義あることといえる。ミュージカル・クラウンのみならず、その他の芸術、 文化研究に更なる広がりを与えることが期待される。


EGUCHI Kana
Music of A Musical Clown, Grock

The research object of this thesis is music in entrée; repertoire mixed music, acrobatics and drama, of Grock called “The greatest musical clown in the 20th century”. It has aimed to clarify the feature and the effect of music, the sound, and the gesture in his entrée, and to clarify the influence on another genre, in addition. Why was Grock able to fascinate and laugh the spectators? I verified it; on the assumption that it is because of that the satire on the art music was so good in expressions which were accepted to everyone.

The academic preceding works are very few in this field. Most are historical study, for example Евгений Кузнецов’s circus and clown research and Tristan Rémy’s. Only in Rie Yoshimura’s doctor degree thesis, musicology research was done. It is an idea to arrange the feature of the entrée again based on this research, and to promote greater understanding. Therefore, I paid attention to the influence on another genre. The aspect of this comparison analyses is original.

The thesis is composed of 4 chapters. In Chapter 1, it takes a general view of the history of the circus and the clown. In Chapter 2, the feature of music and the performance is arranged. In Chapter 3, one entrée is analyzed and proved the expression and the effects of his music, sound, and gesture. Also verifying how it make spectator laugh. In Chapter 4, the influence on another genre has been made clear, such as “Sequenza V” and “Sequenza III” by Luciano Berio and “Limelight” by Charles Chaplin.

Music researches tend to be focused on only history of art music. Thus, this study promotes the research of a popular culture to which has hardly been paid attention to. It may become a clue in catching the relation with the art music. A further extension is expected to be given to not only of the musical clown but also other arts and cultural researches.